検索エンジンに自分の感情を言葉にして打ち込みはじめると、続きを勝手にサジェストされる
駆け引きなんて一切必要としない関係は、安心して言葉を紡ぐことができる。
甘えてしまうこと、を許せない私は頼ることができず、いたずらに傷つけてしまっていないだろうかと頭を抱えてしまうけれど、それすら思い込みで私だけが勝手に心を痛めたり嬉しくなったりしている。かもしれないし、そうじゃないかもしれない。なにもかも共有するのは無理でも、分かってほしいという素朴な思いに駆られることを、恋と呼んでもいいと、今決めました。恋じゃなくてもいいけど、恋でもいい。
潮騒、という名前
「わんわん」って感じで待ってるのが急に恥ずかしいような気がして、なんでもないような位置としぐさと表情をつくるも、いざその瞬間がおとずれると「わんわんー!」という様子になった。
勝手にくちから飛び出すことば VS はっきり描いてしかもそれを言葉にしないことには叶うはずがない
深読みなどすることすらもったいなく、かみころすように飲み込む空気
甘えられると不覚にもときめいてしまう、まだまだ修行がたりません。
沖合い約800メートルの海上でクジラとみられる生物を発見した。
とにかく焼きたい世話を、世話を焼きたい。そこには私の自己満足しかない、自己満足でしかない私の欲望。
喉の奥がひりひりするような、それが少しずつおりて胸がつーんとするような。とにかく悲しくて耐えられない、それ以外なにも考えられないくらいに。悲しい気分を超えて身体が感情を拒絶する。そこを乗り越える方法、いまはまだわからない。
悪夢を見た後に「(この夢を)獏にあげます」と唱えるとその悪夢を二度と見ずにすむという。
また変なルートで的確にたどり着いてしまった。7年もの時空を超えて。
つらかったでしょう!待たせて、ごめんね!とでも言いたくなり、変な気持ちになってしまう。
すこしでも苦しみを取り除いてあげたい、という今まで考えたこともない感情が勝手にわき上がり、一体これはなんなのだろうと考えてしまう。
超・傲慢。ひとりよがり。(愛とはそういうものなのか?愛の定義も曖昧なのにそんなの知らない。)自分で言っててばかばかしいと思うけど、それでも半分本気で「お待たせ!」とか思ってる。愚か〜。
夢のなかでみる夢のまた夢
離岸の瞬間のたまらなさ、いつになっても慣れない。これから向かうというのに。
まっすぐな言葉をそのまま受け取れる感受性があって本当によかったと思う。
見えなくなるまで手をふり続ける照れくささを思い出す隙間もないほどに、ただただ名残惜しくて1秒でも見ていたくて、親愛の情しかない顔をしたまま海の上に放り出されてゆるやかに日常にかえっていく。